


第25回(2006年7月号掲載)
天然ガス・金属・大豆 V.S. コカイン・貧困・汚職。商品価格上昇で富めるはずの国:ボリビア
南米の海のない国、ボリビア。多くの人がイメージできるのは、アンデスの山々とコカインと、強いて挙げればサッカーくらいか。しかし、エネルギーや鉱山資源など国際的な一次産品価格が高騰する今日、どこよりもその恩恵を受けておかしくない「持てる国」である。
ジム・ロジャーズ氏がこの小国を走り抜けたのは2001年9月。9.11テロ事件の1週間前だった。
その後、市場経済化の過程で深刻な経済・財政危機の荒波に揉まれ、当時のキロガ大統領から今年1月に就任したモラレス現大統領まで、4度の政権交代が繰り返された。それは麻薬と貧困との闘いでもあるが、「たいした期待も抱かず、一気に走り抜けよう」と考えていたロジャーズ氏がそこで見たものは?
道が一本きりでこれといって特長もないボリビアのある素朴な村で、大きな身体を揺すぶりながら元気いっぱいに動き回るセニョーラ・ルチャに多くのことを教わった。
アルゼンチンとの国境沿いの町ヤクイバからサンタクルスに向かう途中、妻のペイジと私はグティエレス村のルチャおばさんの納屋で1泊した。豚小屋の周りを鶏やアヒルが鳴きながら走り回っていたものだ。ルチャおばさんが三つある冷蔵庫の一つから次々に出してくれた冷えたビールを飲みながら、もう食べられないというほど満腹になって、私たちは大満足だった。それも、一人当たりたった2ドルで……。
翌朝、村の中心にある伝統的な広場を訪れた私たちは、村に一本だけしかない埃っぽい道を通行するトラック運転手たちを目当てに道路脇に簡単な休憩所を設け、鶏やライス、ポテトそれにビーフカバブ(牛肉の串焼き)などを調理している8人の屋台のオヤジの大歓迎を受けた。
グティエレス村を出発する日には、この国の惨めな過去は歴史の中に埋没しつつあり、明るい未来が待っていることを確信していた。私はいい気分になっている。ボリビアの悪名高いコカインでハイになっているのではなく、この国の先行きに対してだ。
私のそんな気分に冷や水を浴びせるような指摘をする人もいるだろう。確かに、独裁者や汚職まみれの政府、それに悪名高い「毎分のように起きるクーデター」などで300年にもわたる経済苦が一層悪化し、疲弊しきった800万の国民の多くは、南米で最も貧しいといわれている。
しかし、ようやく食べていけるだけの必要最低限の生活を維持する方法を見つけた働き者のルチャおばさんや彼女の数人の隣人から、学ぶところもあるはずだ。
ルチャおばさんが出してくれた冷えたビールもそうだ。この小さな村では冷蔵庫などの「贅沢品」がある家などほとんどないが、冷蔵庫を動かす電気の出現こそが地方経済の発展を目指す政府の懸命な努力の賜物だと言っていい。グティエレス村を走る道路は埃っぽく穴だらけだが、それでも国際投資家が注目している国々でドライブした道のいくつかよりは、よっぽどマシだった。
本音を明かすと、この国にはたいした期待も抱かずやってきたのだった。ペイジと私はアルゼンチンとブラジルからペルーに向けて、ボリビアは一気に走り抜けようと話し合っていたほどだ。前回の世界一周旅行の途中、1991年に立ち寄ったときは、好奇心をかき立てられるようなものには何も出くわさなかったし、それ以降の10年間に、海もなく山ばかりのこの国の事態が好転したというニュースなど、全く耳にしなかったからだ。
しかし、アルゼンチンから国境を越えてアンデス山脈の麓にある人口1万3000人ほどのヤクイバに入った直後から、私のボリビアに対する見方が変化し始めた。アルゼンチンの一部の地域で見たような、古臭く寂れた街路とは対照的に、私たちを迎えてくれたのは、明るくて賑やかな、道の端から端までいっぱいに市場が広がる国境の町だった。信じられないような値段で、ありとあらゆる物を買い漁るためにアルゼンチン人がこの町にやって来るのも、この国では経済の自由化が進み、規制はほとんどなく関税も非常に低いからだ。
過去の繁栄から市場経済化へ
ボリビア政府は80年代に赤字を垂れ流すスズや亜鉛鉱山の多くを閉鎖した後、雇用機会を確保するため小売り市場の規制を緩和した。自由化が長期に渡り抑圧されていたボリビア人の企業家精神を一気に解き放った。
ヤクイバのように、国全体がひとつの大きな市場となっており、経済発展を支える基礎的要因となっている。より広大で知名度も高い隣のアルゼンチンやブラジルの保護主義的経済とは対照的に、ボリビアは国境を事実上開放し関税もほとんど撤廃している。入国する際にも手続きはごく簡単で費用もほとんどかからなかった。自国通貨のペソをドル相場に連動させているアルゼンチンではモノやサービスの料金が非常に高いが、ボリビアは変動相場制を採用しているため、外国為替相場も適正で、物価も安く保たれている。
※アルゼンチンは02年1月の為替制度改革法成立で、1米ドル=1ペソのカレンシー・ボード制(ドル・ペッグ制)を廃止、固定相場制と変動相場制を併用する二重相場制に移行した=編集部
最近になって天然ガスが発見され経済発展の機会が開けてきた近くのワイン生産地域タリハでもヤクイバと同様のエネルギッシュで活気ある空気に接した私たちは、わずかに残っていたボリビアの未来に対する懐疑心が完全に氷解していくのを感じた。
荒廃が進むポトシはかつての優雅さを失い、この国では有数の貧困地区、南米大陸では労働条件も最も厳しい土地といわれている。しかし、この町のそんな状況さえ、私たちのこの国に対する情熱的な見方を冷やすことはなかった。
ポトシは栄光と没落の象徴だ。1544年、ディエゴ・ハウルという一人のインディアンがポトシを見下ろす山の中に、まるで銀の塊のような土地を発見した。30年後にはポトシは西半球で最大かつ最も繁栄した都市となっていた。その富は、ロンドンやパリ、マドリッドをも凌いだといわれている。海抜3600メートルにあるポトシは、現在でも人口10万人以上の都市としては世界で最も高い土地にある。
スペイン語で「豊かな丘」と呼ばれるこの土地から掘り出された銀が当時のスペイン帝国の繁栄を支えた。賃金の安いインディアン労働者を雇ったスペイン人が海抜4500メートルもの高地で採掘した銀は、1580年までに130万オンスにのぼった。これまでの生産量は最大で20億オンスとアナリストたちは推定している。
歴史的に意義あるポトシにずっと行ってみたいと思っていた。当時建設されたこの町の荘厳な教会には、何年もかかって彫刻がほどこされた祭壇や優雅な説教壇があり、壁の一部は金箔で彩られている。住民は純銀の皿で食事を楽しんだ。スペイン人は銀の輸送や精錬を、南米やスペインの政府系の港や鋳造所に制限して、流通を厳しく管理した。採鉱作業を効率化するために水銀が使用され始めると、スペイン人は水銀の販売を独占化した。政府が新技術や製品から税金を取り立てようとするのは、どこの国でもいつの時代でも変わりないようだ。
スペイン人は今でも巨額の富について語るとき「ポトシだ」と表現するが、そのポトシには、荒れるがままに放置されている素晴らしい古来の建築物を維持するのに必要な資金はほとんど残されていない。
協同組合に入っている2万人ほどの鉱山労働者が、高地での労働に耐えるべくコカの葉をかみながら、曲がりくねって狭い迷路のような坑道の中で、400年も前に開発された古臭い技術を使って岩肌から銀をコツコツと削り取っている。
平均すれば43歳前後くらいまでしか生きられないだろうと思える、険しい表情の鉱夫たちの顔を見ながら、旅行の途中で何度も目にした光景を思い浮かべていた。かつて栄華を誇っていた都市や国から、富が永遠に消失してしまった風景だ。
インドにはそんな都市が数多いが、最近ではアラビア半島でも同じような運命をたどる都市が出現し始めている。30年ほど前のアラブ諸国では、稼いだ「オイルマネー」で支払われた給料が家計を支えていたが、現在では若者が単純労働で生計を支えるのに精一杯だ。もし千年後に考古学者が砂漠の中から驚くようなものを掘り出したとしたら、それは中東でかつてそびえ立っていた壮大な宮殿かもしれない。
ポトシを包む灰色で荒涼とした高原の陰影たる風景の中にたたずんでいた私は、それでも自分の中にこの国の将来に対する楽観的な見方がますます膨らんでいくのを感じた。それはなぜかと言うと、政府の民営化推進計画に鉱業が含まれているからだ。国際的企業数社が、南米から欧州まで銀の橋を架けられるほどの埋蔵量がまだ残っていると専門家が推定するほど豊かな銀鉱を、近代的な技術を駆使して開発する機会をうかがっているのだ。
豊かな銀鉱脈が縦横に走っているポトシ付近の地域はもとより、「豊かな丘」からだけでも今後25年間に2億6600万オンス(約8273トン)の銀が採掘できると政府は推定している。「豊かな丘」はその歴史ゆえに、歴史的価値のある遺跡を対象とする「世界遺産」の保護下にあるが、政府はこの「障害」を乗り越えようと試みている。しかし、スペイン人が残していった後遺症に苦しんでいる鉱山労働者の間には「鉱山業者は富を奪い去った後に貧困を残していく」という思いがある。この感情の方が、克服するのにより困難な障害かもしれない。彼らは、巨大国際企業がやってくれば、わずかに残された乏しい生計の糧が奪われることを恐れている。しかし、虐げられた労働者のそうした冷徹な感情が、この国の未来の一翼を担っていると私は信じている。
鉱業や炭化水素産業は、通信産業がたどった成功への道と同じ道を歩みつつある。主要国際企業が鉱山開発に資本投下、コンソーシアム(事業共同体)が鉱物資源や天然ガスを発見したというニュースが毎日のように流れている。98年には9兆7900億立方メートルだった天然ガスの確認、未確認を合わせた埋蔵量は、01年初頭には70兆100億立方メートルへと飛躍的に拡大した。タリハやサンタクルス地域などでも最近になって新たなガス脈が発見されたから、埋蔵量は上方修正されるはずだ。ブラジルなどからの需要増大を追い風に、炭化水素資源の輸出は05年までに250%も伸びるとの予想がある。
※ボリビアの天然ガス産業は南米第2位の埋蔵量を誇り、財政難の切り札として期待されているが、03年10月の暴動発生以来、その利益分配に対する先住民層の不満も高まっている。このため05年5月、炭化水素法が改正され、天然ガス関係の外資企業に対しより高率の税が課せられることになった。さらに今年5月1日、モラレス大統領は天然ガス資源の国有化を宣言した大統領令に署名、ベネズエラとともに資源ナショナリズムの動きが加速している=編集部
相場が低迷して政府が鉱山閉鎖を余儀なくされるまでボリビアの主要鉱物資源だったスズは、生産低迷から立ち直る兆しがない。その一方で金、銀、銅産業では、埋蔵量の豊富な鉱山の開発を低コスト化、効率化するため、国際企業群が近代的技術を投入し、事業が順調に拡大している。大規模な金と銅の鉱脈が東部の低地地方で発見されたことだけでも、これら産業の未来に希望を抱かせるに十分だ。
民営化が進む中、ほとんど知られていないような鉱物でさえも海外企業の注目を集めだしている。例えば、カナダのゼネラル・ミネラルズ社は、携帯電話や自動車用電子部品など多種多様な製品の主要成分として利用されるタンタルの生産で、世界上位に食い込もうとしている。
コカは長い間、ボリビア人の生活に密着している。労働者はその葉をかみ、ほとんどの家庭ではコカ茶を飲み、伝統的医療にもコカは使われている。コカインの違法栽培では、つい5年ほど前までコロンビアに次ぐ「大国」だった。
ボリビア政府は、コカインの違法取引に対する国際的な非難に逆らうよりも、今や他の中南米諸国の手本となっているほどの賢明な方法でコカを根絶する道を選んだ。96年にコカ畑の一掃に向け本格的に動き出した政府は、コカ栽培農家にいくつかの選択肢を与え、伝統的農産物への転向を奨励した。伝統的利用のための栽培や、風味を高める目的でコカの葉の非中毒性部分だけを自社のコーラに添加するコカコーラ社への輸出用には、1万2000ヘクタールのコカ畑だけを残した。
衛星からの写真を見ると、コカ畑一掃作戦は明らかに成功を収めつつあり、キロガ大統領は今後もコカ撲滅運動を推進していくと公約している。消え去っていくコカ畑に比例して、95年には245トンもあったコカ生産高は、00年には40トンに急減した。
※ボリビアのコカイン生産はその後の深刻な経済危機や相次ぐ政治体制の変転などを経て再び増加に転じている。国連の麻薬犯罪対策機関UNODCは『世界麻薬報告書2005』で、04年の栽培面積を前年比17%増の2万7700ヘクタール、コカイン製造量は同35%増の107トンと推定している=編集部
その反面、数種類の伝統的農産物の栽培が拡大している。その中でも大豆が飛び抜けていて、収穫高は過去5年間に2倍以上に増え、作付面積も2006年までには100万ヘクタールを越えるとみられている。
※ボリビアの大豆作付面積、収穫高は90年代半ばから急速な増加が続き、国連食糧農業機関(FAO)のデータによると、05年はそれぞれ89万ヘクタール、167万トンに達した。
コカは何世紀にもわたりボリビア文化の一部を織り成し、精製さえしなければ無害なのだから、生産ゼロになるとは考えられない。しかし代替農産物から高い利益が得られるのなら、両者を天秤にかけコカの栽培を止める農家が増えてくるだろう。
代替作物への転換を後押しするため、政府の海外市場開拓には意気込みが感じられる。そんな努力が功を奏し、2001年1?7月のボリビアの大豆輸出収入は1億2000万ドルに上った。
油糧種子、コーヒー、綿花、穀物の生産も急速に伸びている。油糧種子にいたっては、収穫がここ5年間で3倍強になった。ブラジル人を筆頭に海外投資家がボリビアの鉱業分野に資本を投入し新技術を導入したが、今度はサンタクルスを中心とした地域の農業に資金や技術を注ぎ込んでいる。その結果、農産物価格が低迷していた時期をも含めて、96?00年に農業は年間10%を上回るペースで拡大した。ボリビアの大豆産業は、商品相場の上昇が国の経済に強い影響を及ぼすという、ひとつの良い例だ。
また、亜鉛の次に重要な鉱物資源である金の輸出高は年間12.5トンとなっている。私は商品相場の先行きを強気にみているので、天然資源の豊かなこの国の未来は果てしなく明るいと予想している。
麻薬と貧困を超えて
この国では快適な道路も走ったが、高速道路網がズタズタの地域も多い。ヤクイバから二車線道路を200キロメートルもドライブしたが、通行料金は車2台で約20ドルだった。次に差し掛かったのは150キロメートルの未舗装道路だった。現地住民に何度も気をつけるようにと注意されたその道は、狭くて岩だらけのでこぼこ道、十字路やV字型曲がり角には標識もなく、ペイジにとっては予想以上の悪路だったが、私自身はそんなものだろうと見越していた。時速30キロメートル以下のノロノロ運転を強いられたところも少なくなく、グティエレス村にたどり着くのに4時間もかかった。
この国が南米の輸送拠点を目指したり、生産物を海外市場向けに出荷しようとするなら、道路網整備計画を積極化しなければならない。農産物を市場へ効率的に輸送できなければ、コカの栽培に戻ってしまう農家も出るだろう。なんといってもコカの方が栽培も簡単だし、アジアや欧米の麻薬文化向けに輸送経路もちゃんと出来上がっている。キロガ大統領が01年8月7日に認めたように、「コカインは悪だが、取引ルートがすでにある」。
株式市場が上向くのはまだ数年先だろうが、農業や鉱業、そして急速な拡大を遂げて経済の4割を占めるにいたったサービス業などと比べて、はるかに立ち遅れている製造業でさえ先行きに明るい兆しが見え始めている。埃っぽく穴だらけの道路、その道路脇に住む住民の惨めな生活の中にも、私はこの国の明るい将来を感じた。だが、独り立ちして歩き始める前に、ボリビアもまずハイハイから覚えなければならない。
市場や経済のインフラが整備されれば、安価で豊富な労働力、自由経済、南米中央という地理的好条件、投資に適した経済環境などが揃ったボリビアを、工場や設備を移管するのに最高の土地だと見直す海外企業が増えてくるかもしれない。原材料が豊富にあるという点も海外企業の誘致には強い味方だ。仮に海外製造業が他の南米諸国に生産設備を建設したとしても、その工場から、ボリビアの天然ガスや鉱物資源などに対する需要が必ず見込める。
観光産業の発展が期待できなければボリビアの将来に対する私の楽観的見方も、もう少し違ったものになるだろう。
91年にこの国に立ち寄ったときは、海外からの観光者に一人も出会わなかった。しかし今回は、人気が出つつあるペルー?ブラジル?チリ?アルゼンチンを巡る観光ルートから寄り道したと思われる観光客を、数カ所で見たり会ったりした。冒険を求めてこの国を訪れる彼らの大半は、魅力的なアンデスの山々、サバンナ(亜熱帯の草原)や大平原、広大な塩類平原、熱帯雨林、美しい河川、ラフティングやカヤックなどのアウトドア・スポーツ、温泉など、ボリビアの大自然に魅了されたバックパッカー(旅行道具一式を詰めたリュックを背負って各地を旅する人)だった。
観光産業から得る収入は、90年の1000万ドルから、00年には10倍の1億ドルに膨れ上がった。観光客は過去10年間で5割以上も増えた。アジアや欧米など、裕福な国からの観光客は実に3倍強となった。
かつては閉鎖的で観光客には「危険がいっぱい」の国だったボリビアは、彼らによって「発見」されつつある。観光関連産業を発展に導くのは、バックパッカーや、ペイジや私のような「変わり者」であることが多い。観光関連産業が発展すれば、他の産業分野の発展を促すことが多い。
ボリビアはまだまだ問題を抱えていて秘密のベールに包まれているようだが、この国やこの国が提供できるものに対してハイになっている人々がいる。まだまだ少数だが、次第に増えてきている。ボリビアも、まんざら捨てたものではない。